昨日は金比羅参りで雨に降られた「雨女」の私、今日は愛媛は良いお天気になりました。
…って、昨日香川県から帰ったら、こちらは雨が降った痕跡が有りませんでした。
私は雨を引き連れて、香川県に入っていたのか?
今月、初めて道後温泉に行ったときも、前日まで良いお天気だったのに、道後に到着したのを
待っていたかのように、大雨に降られたのでした(-_-メ)
このお天気で、社宅に1本有る桜も満開に咲いています。
日当たりが良いのかしらね?
さて今日で、東日本大震災から丸2年が経ちました。
あちこちテレビで特集を放送していますね。
今朝の新聞では、亡くなられた方の写真とその遺族のコメントが、たくさん掲載されていました。
もうね、涙で目が霞んで記事が読みにくかったですよ。
親は亡くした子供の歳を数えるんですよ。
「生きていたら○歳だ」…ってね。
そして、生き残った者は亡くなった方に対して罪悪感を持つんですよ。
去年見た特集では「死ぬも地獄、生きるも地獄」…って、避難所でインタビューを受けていた高
齢者が、先行きが立たない不安を語っていたっけ。
2年前のこの日は、我が家は転勤が決まった為に、不要な物を整理していた。
テレビで速報が流れ、少し時間を置いて、あちこちの被害状況が映し出された。
まさか日本で起きている事とは思えず、どこの国で起きているのか?…と思ったぐらいでした。
それから夜まで、知人や友達にあちこちメールを送ったが、なかなか安否が分からずヤキモキ
していました。
夫から電話が入り、「職場から被災地へ、手伝いに行かなくてはいけないかも知れないから、
引越しが少し、遅れることになるかも?」と言われた。
結局、夫は派遣されなくて、引越しは予定通りとなったのだが。
東日本大震災が、昨日のことのような気もするし、遠い昔のような気もする。
それでも草木は芽吹き、少しずつでも復興に向けて進み、2年が経過した。
ところで、被災地全体の何割が復興できているのかしら?
ない方、たくさんいらっしゃいます。
先日テレビで見たのは、東京都内の公務員住宅に仮住まいしている、福島県の女性にイン
タビューしている番組だった。
その住宅には、被災地からたくさんの方が入居していた。
この女性は81歳だったかな?
1Kの単身者用の狭い部屋に住んでいた。
福島にいたときは広い一軒家に住んでいて、畑仕事をしていたそうだ。
見知らぬ土地に来て、知り合いもいない。早く自宅に戻りたいのに戻れない…と言っていた。
この公務員住宅には、集会所みたいな場所が有り、入居者どおしで談話したり交流を深める
ことが出来るそうなのだ。
「あら、そういう所が有ったら、被災地から避難して来た人達で話す機会も有って良いわね」と
思ったら、違うんですよ。
このお婆さんは「大変でしたね…」と、前から住んでいる人が親切に言葉を掛けてくれてたん
ですが、話していると「…で、いくらお金を貰ったの?」と、必ず金の話になるそうです。
避難して来てる人達は、前から住んでいる人に「家賃も払わずに良いわね」などと、陰口を叩
かれ肩身が狭い思いをしているそうだ。
住人達と顔を合わせたくなくて、次第に集会所から足が遠のいてしまったようだ。
回覧板が回って来ても、何だか居心地が悪いような内容が書いてあることも有るそうで…。
このお婆さんだって、東京のど真ん中の狭い部屋に、好き好んで住んでいるわけでは無い。
自分が住んでいた所に戻りたいのだ。
だけど戻れないのだ。
どうして、そんな意地悪なことを言うのかしら?
見舞い金だって、私達が募金したり寄付したお金や、国から出るハズの金が、ちゃんと回っ
ていないのだから、まだ手にしていない人も、たくさんいるんじゃないの?
ないようで…・
人手が足りないのも有るのでしょうが、本当にイライラしますよね。
必要な所に必要な資金が回っていない…
どこかへ消えたのか?
国がすることは、どうしてこんなに遅いのかしらね。
来年のこの日までに、もっと復興が進んでいて欲しいな。
被災した方達が、少しでも元の生活に戻れるように願っている。