Gena(ジーナ)の飲んだくれ太腕繁盛記

健康であれば大抵のことは気合いと根性で乗り切れる!

父、自宅へ帰る

月曜日から今治に来ていた父が、広島に帰りました。
母は横浜の友達の家によって帰るようで、今夜はその家に泊るかも?…と言っていたが、父が気に
なって最終の新幹線で、今夜帰宅するかも知れません。
母が気にしているのは、「火の元」と「電話」のことなのだ。
父は夜一人でいると、酔っ払った挙句にあちこちに電話するんです。
ええ、さっそく月曜の夜10時頃に、母や叔父に電話していたようだ。
私にも11時半頃に電話してきたのですが、私はうたた寝してて電話に気付きませんでした。
母も叔父も店に入っていて、電話に気付かなかったんですよ。
私は9時過ぎまで父と一緒にいたのですが…。
誰も電話に出てくれないので、私に掛けたのだろう。
 
月曜の朝、母は7時半には家を出て、父は9時に家を出た。
フェリーに乗って松山港に到着。
バスやJRに乗り換えて、ちょうど正午に今治駅に着きました。
少し遅れるから、駅の食事処で何か食べててくれと連絡し、駅に行きましたら…
父は「おでん」をつまみに、既に生ビールをジョッキーで飲んでました。
…で、私も一杯だけ飲んで店を出ました。
ホテルにチェックインして、まずは今治城に向いました。
 

 
                  ↑この写真は今年の1月に撮影した物です。
 

 
                   ↑今治城藩主 藤堂高虎(とうどう たかとら)公です。
 

                       ↑角度を変えて写してみました。
 
平日ですが、ちらほら見学に来ている人がいました。
天守閣を見学して夕方から居酒屋へ行きました。
 
もうね、居酒屋で父がしゃべるしゃべる…(-_-;)
ジョッキーでビールを1杯飲んで、二人で赤ワインを2本開けて、店を移動。
さらにジョッキーでビールを1杯飲んでホテルへ帰りました。
 
翌日はアサヒビール工場見学に行き、ビールを3杯試飲しました。
父が案内ガイドのお姉さんに、「自分もボランティアガイドをしている」と話しかけて離さず、一緒に
写真まで撮ってましたよ(@_@;)
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  ↑ビール工場の売店で、ブランデーが1%未満入っているチョコレートを買いました。
 
その後、伊予西条駅の隣に在る「鉄道歴史パーク」を観ました。
昔懐かしい0系新幹線の車両や、DF50型ディーゼル機関車が一輛、展示してあり、四国鉄道の
博物館になってます。
ここは新幹線の「生みの親」と言われている、「十川(そごう)信二」記念館も隣接しています。
 
…で、当直明けで昼に帰宅して寝てた夫を呼び出し、夕方から3人で居酒屋に行きました。
はい、どう見ても「飲んだくれ3人組」ですから、酒抜きの店には行きません。
2時間の間に、3人で瓶ビールを2本と焼酎のボトル(900ml)を1本空けました。
トンチキ夫は睡眠不足も有り、早く酔っ払い、父は父で酔っ払い…。
「ザル」と言われた父も、早く酔っ払うようになりました。
 
ええ、昨日は私は酔いませんでしたね。
トンチキ夫を連れて帰宅しないといけませんし、父をホテルへ送らないと行けなかったんでね。
こういうのは「酔った者勝ち」かも知れません(+_+)
 
そして今朝9時半に、父から電話が有りました。
松山港に着いた」…とのこと。
今日は松山城に行くんじゃなかったか?
誰も相手にしてくれなかったから、退屈だったのか?
 
そして、正午にまたまた電話が掛かって来ました。
「家に着いた」から始まり、フェリーの中でビールのロング缶を飲んだとか、土産がどうのこうのと、
40分電話に付き合わされました。
することが無いと、飲んだくれるか、あちこちに電話する父です(@_@;)
まあ無事に帰宅できて良かったわ。
それにしても、今夜はまたまた誰かが電話被害に遭うのか?
母の帰宅はどうなるか?
このてん末はまた後日ブログにUP致します(^o^)丿