Gena(ジーナ)の飲んだくれ太腕繁盛記

健康であれば大抵のことは気合いと根性で乗り切れる!

ナンシーよ、安らかに眠れ

今日の夕方、自宅に戻りました。
29日は朝9時前の高速バスに乗り、広島市内で路線バスに乗換え、お昼1時前に実家に到着
しました。
6時から通夜なので、5時前に葬儀会社のホールに入りました。
最近は、自宅やお寺で通夜をすることが少なくなりましたね。
ナンシーが葬儀会社の互助会会員になっていたので、その会社が持っているホールで、通夜も
葬儀も行いました。

控室に行くと私の従兄と憔悴した伯父や親族、ナンシーの「エイサー仲間」が、29日に行われ
た「みなと祭」の舞台で踊った後に、駆け付けてお参りして下さっててごった返してました。
身内が少ないのと葬儀費用を抑えるために、家族葬のような密葬にしたので、電話で問い合わ
せが合った方には、「家族葬だから」とお参りをお断りしたようだ。
それでも通夜には50~60人ぐらい来られていた。
私ら身内は総勢14人でした。

そして昨日の葬儀は30人ぐらい来て下さったのかな?
昨日は涙雨のように、朝から昼過ぎまで雨が降ってました。
こじんまりとしたお葬式でしたが、すごく良かったです。
ナンシーの人柄のように、派手じゃ無く、暖かな雰囲気を感じるような祭壇でした。

遺影の写真は、伯母(ナンシーの姑)の49日のとき(9年前)に、皆で一緒に写したスナップ写
真を使いました。
嬉しそうに、はにかんだ笑顔の写真でした。
その時は、たまたま私も札幌から帰って来てて参加したのです。
ナンシーの娘ステラ(ニックネーム)が、まだ中学生で幼かったです。
遺影を見ながら、あれこれ思い出しました。

ナンシーは優しい人でした。
人の前に出てリーダーシップを取るタイプでは無かったけど、人と人をつなぎ合わせるクッショ
ン材のような役割を担ってました。
意識しなくても、ナンシーの回りにはいつも人が集まっていました。

さすがの私も今回はガックリしました。
いえいえ、私はまだ外野だから悲しんでいるだけで良いけれど、当事者の従兄や子供達は、
悲しみにくれているわけにはいかない。
これからあれこれ手続きやら、何やらとやらないといけないことが、てんこ盛りなのだから。

ナンシー、子供達は父親の手助けをして、しっかりと葬儀を執り行っていたよ。
子供達が結婚するのを見たかったでしょう?
そして孫の子守りもしたかったでしょう?
どうしてこんなに早く旅立たないといけなかったのかしら?
考えても仕方ないけれど、それでも55歳は早いよ、ナンシー…。
ナンシーの顔は、痛みから解放されて安らかな顔でした。

ナンシー、今まで有難う。
また一緒に飲みたかったよ。
ナンシーを想いながら、今夜も献杯する私である。