今日も暑い「熱闘列島」ですね。
お盆も過ぎたし、朝晩は少しずつ涼しくなるのかしら?
さて今日は、私の母の誕生日。
めでたく70歳になりました。
10年前60歳になったときに母は「後10年は生きたいわね」と言った。
なぜか母は、70歳になったら寿命が尽きるかも?と勝手に思っているようだ。
5年前には「あと5年で70歳だわね」と言って、そのとき私は札幌に居住していたので、
「年に2回帰ったとして、あと10回しか会えないね」と軽口を叩いたものです。
そして去年からいろいろと私生活でバタバタしてましたが、本日母は無事に70歳を迎
えました。
自分が資格を持ってなくて、ロクな働き口が無くて苦労したから、食べるのに困らない
ように「手に職」を…と思い、母は私を商業科に進学させた。
ちょっと事件が続き、私が札幌に住みついたときは「こんなことなら、手に職などつけさ
せないで、商店街の売り子でもさせておけば良かった」と泣かれたものです。
「お前には兄弟がいないし、親戚も仲が悪いから誰も頼れる者がいない。親が死んだら
お前は一人になる。頼りになるのは自分だけだと思いなさい」とスパルタ式に、叩かれて
叩かれて育てられました。
お陰さまで私は、雑草のごとくたくましく育ちました。
去年やっと私が身を固めたので、母は胸を撫でおろしたに違いない。
母は子供の頃から貧乏生活を送っており、爺様の商売を手伝って、新聞や牛乳を配達
し、球場前でラムネを売らされたりと、小学生と思えないぐらい働かされていた。
これは爺様が連帯保証人になっては夜逃げされ、他人の借金を払うハメになっていた
為に起きた災難である。
兄弟が多くてもテレビに出てくる大家族のように助け合うことが無く、当時上の兄弟は独
立していたにも関わらず金銭の援助は全くしてくれなかった。
9人兄弟で8番目の母は、すぐ上の姉と2人で商売を手伝わされていたのだ。
あまりの貧乏生活に小学生の頃の「将来の夢」に、「平凡な会社員の奥さん」と書いた
ぐらいでした。
そんな母は、一応名の通った会社に勤める会社員の父と結婚したのだが…
この父がまた「宵越しの銭は持たない」という浪費家で、4万円の給料の時代に8万円
を使ってた男で、母は家計を支えるために働くことになる。
小学生の頃に書いた「将来の夢」は叶ったのだが、貧乏生活は引き継いでしまったのだ。
何やかんやで父と結婚して数十年、今は落ち着いた老後生活を送っている…と書きたい
のだが、やっぱりいろいろと問題が起こっている。
さすがに金銭面では落ち着いたようだが、親戚関係で問題があるようで…
70歳になったけど、まだまだあの世へ行ってる暇は無いよ母さん。
「お誕生日おめでとう。また一つ大人になったのね」と、午後から電話してみようと思いま
す(^o^)/